誰にも見られていない努力

誰にも見られていない努力は、意味がないのか?

誰にも見られていない努力は、意味がないのではないか。

ふと、そんな思いが胸をよぎることがあります。

一生懸命にやっているつもりなのに、
誰からも声を掛けられるわけでもなく、
評価されるわけでもない。
結果が目に見えて返ってくることもなく、
「これは何の役に立っているのだろう」と、
心が揺れる瞬間です。

人はどうしても、
努力が報われる場面を期待してしまいます。
誰かに気づいてもらいたい、
少しは認めてもらいたい。
それは、とても自然な気持ちだと思います。

それでも、
人の目に触れないところで続けている行いがあります。

誰かのためにと思って引き受けたこと。
頼まれたわけではないけれど、
気になって手を差し伸べたこと。
面倒だと感じながらも、
黙って続けている小さな務め。

それらは多くの場合、
誰かに褒められることもなく、
評価の対象になることもありません。

正直に言えば、
「やらなければ楽なのに」と思うこともあります。
「ここまでしなくてもいいのではないか」と、
心が弱くなる日もあります。

それでも続けている行いは、
目には見えなくても、
確かに積み重なっていくものがあるように思います。

男性がひとり歩く



人に知られない誠は、人生を静かに守る力になる

不思議なことですが、
そうした努力を重ねていると、
大きな幸運が舞い込むわけではなくても、
致命的なところで踏みとどまれたり、
思わぬところで助けが入ったりすることがあります。

振り返ってみると、
「あの時、あの出来事があったから守られたのかもしれない」
そう思える場面に出会うことがあります。

徳を積めば、
すぐに良いことが起こる、
という単純な話ではありません。

ただ、
人に知られないところで誠を尽くしてきた積み重ねが、
いざという時に、
自分の人生を支え、
大きく崩れるのを防いでくれる。

そんな守られ方が、
確かにあるように思います。

昔から天理教の教えの中には、
人を助ける誠の心は、
巡り巡って自分自身をも助ける、
という道理が説かれてきました。

『おふでさき』次のような言葉があります。

「わかるよふむねのうちよりしやんせよ
人たすけたらわがみたすかる」

人を救けたいという真実の思いで人を助けるなら、
その行いは、やがて自分自身をも救けていく。

目に見える報いではなく、
人生の要所要所で、
静かに支えとなって現れてくる。

誰にも見られていない努力は、
決して無駄ではありません。
それは、人の評価では測れないかたちで、
自分自身の生き方を整え、
心の姿勢を育てていくものです。

もし今、
誰にも気づかれない中で、
黙々と何かを続けている方がおられたら、
どうか、その歩みを軽んじないでください。

人に見せるためではなく、
誰かの幸せを願って重ねた誠は、
巡り巡って、
自分の人生を守る力になっていく。

静かで、
目立たないかたちではありますが、
確かな意味を持って、
今日も積み上がっているのだと思います。

会長プロフィール

担当者の永島です。担当者の永島です。
言葉にならない思いを抱えたまま、ここまで読んでくださりありがとうございます。
すぐに答えが出なくても大丈夫です。
もし、誰かに少し話してみようと思えた時は、静かにお話をお聴きします。