いただいている「御恩」に気づくとき
私たちは日々、当たり前のように生活しています。
朝目が覚めて、息をして、食事をして、一日を過ごす。
けれども、その一つひとつを見つめてみると、
決して「当たり前」ではないことに気づかされます。
知らず知らずのうちにいただいているもの
人は、生まれたときから多くの御恩をいただいています。
子どもであれば、親の愛情に包まれて育てられます。
親になれば、今度は子どもの存在によって、喜びや学びをいただきます。
また、社会の中で生きていく中でも、
誰かの支えや思いやりによって、私たちは日々を過ごしています。
直接言葉にされなくても、
見えないところで誰かが自分のために動いてくれている。
その積み重ねの中で、私たちは生かされているのです。
自然からいただく大きな御恩
さらに広く見れば、自然界からの御恩も計り知れません。
空気があるから、私たちは呼吸ができます。
水があるから、命をつなぐことができます。
太陽の光があるから、草木が育ち、食べ物が生まれます。
どれ一つ欠けても、私たちは生きていくことができません。
それでも普段は、それらに感謝することを忘れがちです。
あまりにも自然に存在しているからこそ、気づきにくいのかもしれません。
「恩被り」にならないために
いただいた御恩は、そのままにしておくものではありません。
もしお金を借りたなら、いつか返さなければなりません。
返さなければ、心のどこかに引っかかりが残り続けます。
御恩も同じです。
いただいてばかりで返さない状態は、
「恩被り」と言われます。
それは決して責められることではありませんが、
できることなら、いただいたものをお返ししていきたいものです。

では、どうやって恩を返すのか
では、その御恩をどのように返していけばよいのでしょうか。
天理教では、
人様に喜んでいただくことが、御恩返しであると教えられます。
困っている人がいれば、手を差し伸べる。
心が沈んでいる人がいれば、そっと話を聞く。
小さなことでも、相手が笑顔になれるように心を尽くす。
特別なことをする必要はありません。
日常の中で、できる範囲で、
「誰かのために」という心を持つこと。
その積み重ねこそが、御恩へのお返しになっていくのです。
ある小さな出来事から
以前、こんな話を聞いたことがあります。
ある人が、道で困っている方に声をかけ、
ほんの少しの手助けをしました。
すると後日、まったく別の場面で、
今度は自分が助けられる出来事があったそうです。
そのとき、その方はこう感じたと言います。
「巡り巡って、御恩は返ってくるものなのだな」と。
御恩は、必ずしも同じ人に返るとは限りません。
けれども、人から人へとつながりながら、やがて巡っていくものなのかもしれません。
御恩に気づく心を育てる
天理教では「心ひとつが自分のもの」と教えられます。
同じ日々を過ごしていても、
不満ばかりに目を向けることもできますし、
御恩に気づくこともできます。
どちらの心で生きるかによって、
感じる世界は大きく変わっていきます。
今日、誰かのためにできること
大きなことをしなくてもかまいません。
・家族に優しく声をかける
・誰かの話を丁寧に聞く
・小さな親切を心がける
そんな一つひとつが、御恩返しの一歩です。
私たちは、すでにたくさんの御恩をいただいています。
だからこそ今度は、その温かさを誰かへとつないでいく。
その積み重ねが、やがて周りの人を、
そして自分自身の心をも、豊かにしてくれるのではないでしょうか。
今日もまた、
誰かのために、やさしい心を使わせていただきたいものですね
