今日の幸せを味わう


日々の幸せ

日々の感謝のもとは、
特別な出来事の中にあるものではないのかもしれません。

大きな成功や、
何かを手に入れた瞬間ではなく、
もっと手前の、
もっと当たり前のところに、
静かに息づいているように感じます。


生きていること、そのものへの感謝

生きていること。
今日も目が覚め、
一日が始まったこと。

それは、
「生きている喜び」であると同時に、
「生かされている喜び」でもあります。

意識しなければ、
あまりにも自然すぎて、
つい見過ごしてしまうこと。

けれど、
その当たり前が続いていること自体が、
本当はとても尊いことなのだと思います。


当たり前すぎて、見過ごしてしまうもの

ご飯を、普通に食べることができる。
空腹を感じ、
食べ物の味を感じ、
「おいしい」と思えること。

目で、ものを見ることができる。
朝の光や、
道端の景色や、
誰かの表情を、
当たり前のように受け取れること。

鼻で、においをかぎ分けることができる。
季節の変わり目の空気や、
食事の匂い、
ふと記憶を呼び起こす香り。

耳で、音を聞くことができる。
人の声や、
風の音や、
生活の中にある小さな響き。

口で、食べ、
そして、話をすることができる。
言葉を交わし、
思いを伝え、
誰かとつながることができる。


こうして並べてみると、
どれも特別なことではありません。
けれど、
どれ一つ欠けても、
今の自分の日常は成り立ちません。

当たり前すぎて、
感謝しようと意識することすら、
忘れてしまいがちなことばかりです。


ありがたいと思えなかった日も、含めて

忙しい日や、
心に余裕がない日には、
感謝の気持ちなど、
とても持てないこともあります。

それでも、
あとから振り返った時、
変わらず続いていた日常に、
ふと気づくことがあります。

うまくいかなかった日にも、
心が沈んでいた日にも、
それでも、
体は働き、
感覚はそこにあり、
今日という一日は、
静かに支えられていた。

日々の幸せ

日々の幸せとは、
声高に喜ぶものではなく、
あとから気づくものなのかもしれません。

「ありがたいと思えなかった日」を含めて、
それでも続いていた、
生きているという事実。

そのことに心が向いたとき、
静かな感謝が、
自然と湧いてくるように思います。


今日もまた、
当たり前の一日が始まり、
当たり前の一日が終わります。

その繰り返しの中にある、
生きている喜び、
生かされている喜び。

この文章が、
どこかで立ち止まっている方の心に、
ほんの少しでも、
やさしく届けば幸いです。


会長プロフィール

担当者の永島です。担当者の永島です。
言葉にならない思いを抱えたまま、ここまで読んでくださりありがとうございます。
すぐに答えが出なくても大丈夫です。
もし、誰かに少し話してみようと思えた時は、静かにお話をお聴きします。